天然素材の無垢フローリング 株式会社エスコンポ 電話:0423-45-5071 携帯電話:080-1048-4161 担当:高岡 受付時間:平日・土日とも終日承ります。
中 国
国の西南地区は日本人にとっても中国人にとっても未到の部分が多いい所ですが、良い木があれば世界中の何処でも行 く私は知り合いの木材商人の松岡さんと一緒に行きました。 中国は北からから南まで行っていますが今回は西南シルクロードにある「風の渡る谷」が舞台です。
保山から車で3時間地点。天空が非常に近い。
西南シルクロード 保山市〜六庫市への街道
怒江上流。対岸のペー族自治区からこうして盤木を運んでくる少年は12歳と聞いた。 このロープで降りてくる時の音が木霊するので別名風の渡る谷と呼ばれている。
大連加工公司の嘘八百氏(左)と株式会社日進の小林専務(右)
BIG WALL In PAIJIN ハルピンから長春への旅の途中に北京での休日によってみました。 起伏が可也あって途中でへばりました。
14th Jan 2004
THIS IS CHINA
中国人は自らを共産主義者と呼ぶ。だが彼らは世界最高の資本主義者です。彼らには長い長い企業家精神の歴史がある。 1978年に登小平が4っの近代化路線を発表したとき、その歴史に彼は訴えかけていたのだろう。 三回目の千年紀(ミレミアム)が始まり、中国を世界の産業や技術の最先端に押し上げた企業家精神を再び解き放つために。 中国にはその時代の多くに商人階級が存在した。 そこがロシアのような資本主義の伝統を殆ど持たない国と違うところだ。 日本も江戸時代には士農工商と商人階級は蔑まされてきたがやっと明治維新以降資本主義の流れが勃興してきたが歴史的に浅い部分が多 いい。依然として官農工商の部分はあり官が作った商業規制がその競争力を妨げている。 中国では厳密な意味での共産主義が成立したのは1949年から1979年までの僅か30年だ。 だから資本主義を肌で覚えている中国人は大勢いた。彼ら多くは香港に移り住んでいた。 中国最強の資源は華僑だ。この国は巨大な国外移住者ネットワークを持っている。シンガポールやバンコック、ジャカルタ、ニュヨークで彼らは成功 している。 タイにきてから5世代目であっても彼らは中国人なのである。その多くは中国語を話す。そして中国は彼らをいつでも迎えいれる。 彼らは資本と知識を持ち帰る。知識は資本と同様に重要だ。中国人はそれをすばやく吸収して、自分たちの強みにかえる。 そのうえ、彼らの知識に対する欲求はとどまることを知らない。 中国では農地で働いている人々の姿をいつも目にする。日の出から日没まで文字通り働きづめだ。日が暮れて投光器に照らされな道路工事をして いる人がいた。半分近くが女性だ。座り込んで油を売っている人など一度も見かけなかった。 中国には午睡(シエスタ)はない。ぶらぶらしている人や窓から外を眺めている人など見かけなかった。 日本にあるような青いテントを大都市の公園に居るホームレスは中国の少なくとも上海・深浅・福州で見かけなかった。 勿論、各地には貧民窟は有るがそれはホームレスではない。決定的な違いは彼らは働いているのであって日本人は、働いていない。 働くところが無いのであって、中国では働くところは無尽蔵にあるし働くことを厭わない。 今日日、日本においては中間層と言うべきサラリーマンでさえ仕事が無い。驚くことに金の卵であるべき10代の若者の職業すら危うい。 この国(日本)の将来について楽観的になれないという私の言い方は、海を水滴と呼ぶとに等しいほど控えめな表現だ。 中国人&国のの逞しさは私たち日本人が忘れた何かを思い出させる物が強烈にある。 中国人は朝から晩まで本当に良く働く、ある工場で黒板を見たら8+6と書いてあった最初は何か分からなかったが次第に分かった。 自ら計画をたてて残業をしているのだ。工場のオーナーに聞いたら為るほどと思った。“全て出来高制で工場運営をやっている”そうだ。 これは、やる気が出るやり方だ。流石、華僑のやりかただ。日本の某会社はサービス残業と称して労働代金を支払わないそうだが ここからして真反対のやりかたである。実際日本は馬鹿な経営者が多いのでどんどん中国に水をあけられていくだろう。
人民元(1)
人民元(2)
上海建材市場
福州長楽にて
どうする!明日の朝は早いので今夜は早く寝なければならない・・・・。そうして中国福州の長くて熱い熱い夜は始まった・・・。 深浅家具工場
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