無垢床暖房(無垢フローリング)新海外情報( 西南シルクロード・中国)

                    

 
天然素材の無垢フローリング 株式会社エスコンポ
電話:0423-45-5071 携帯電話:080-1048-4161 担当:高岡  受付時間:平日・土日とも終日承ります。

 
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中  国  

          
                    
        国の西南地区は日本人にとっても中国人にとっても未到の部分が多いい所ですが、良い木があれば世界中の何処でも行
         
         く私は知り合いの木材商人の松岡さんと一緒に行きました。
              
                中国は北からから南まで行っていますが今回は西南シルクロードにある「風の渡る谷」が舞台です。

  1997.11  
  空路昆明〜保山に直行し、保山から目的地の “風の渡る谷”へ出発だ

途中、街道で砂糖黍を販売していたので寄ってみた。


保山から車で3時間地点。天空が非常に近い。

 

 1997.11  

六庫市の釣大橋と朝市風景。六庫市は西南シルクロードの商業の基点にあり、古くから交易都市として栄えた町である。
 
 
 
      途中飛び込みで訪ねた製材工場。人口乾燥は青(黴)が出無い程度に乾燥
       
      させていた。ここから雲南省の省都昆明市に陸送される。
 


西南シルクロード

保山市〜六庫市への街道

 

     怒河沿いに五角楓の集材所が点在しており定期的に仲買人がトラックで
  
         集荷している。各工場では簡易的な乾燥機を持っていた。
  
          木材集荷場に寝泊りしている少数民族の人々。
   
      丁度、ソニーのデジタルカメラを持っていたので、珍しそうに

              集まってきて、歓声が聞こえた。
 


   怒江上流。対岸のペー族自治区からこうして盤木を運んでくる少年は12歳と聞いた。   
   
   このロープで降りてくる時の音が木霊するので別名風の渡る谷と呼ばれている。
 

山から下ろしてきた盤木集荷場 福貢市にある桐の実の集荷場
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      最終目的地の貢山市。チベット文化が色濃く浮き出た町で、白色の高い
      
      外壁の家々が並んでいた。但し、製材工場は川沿いに一件鉄杉の製材
    
      工場が有るのみだった。すぐ近くがミャンマー国境だ。

       貢山での昼食風景。福貢市の朝食と同じく鶏スープのウドン定食。
       
       簡易的な定食ではなく、とにかく美味かった。後ろで断末魔の叫び声
       
       がして振り返ると鶏を絞めていた。
       
       流石に一瞬躊躇ったが、刺身からフルコースで大変満足した。
 

世界第二の峡谷怒江最奥の村(貢山

 
高黎貢山ビモーバスの道 納西族の村 三頁 伝説の山獅子山
              雲南省昆明市の鉄杉集成材工場        
            帰りの六庫市から保山市までの女性ドライバー。
            狭いワゴン車に乗って行程800Kmを走った。
 
 昆明市ホテルの五角楓インテリア

素晴しい模様の柾目虎斑杢目が目に付いた。
チベット桧の検品したがランダム品でしかも単価が高かった。
検品風景 製品
                昆明市のチーク専門工場
               昆明市のチーク専門工場
 



大連加工公司の嘘八百氏(左)と株式会社日進の小林専務(右)

 


        チーク材料はミャンマー国境のルイリーから運んでくるそうだ。
        
        ルイリーはミャンマー国境のイラワジ川からの盗伐材が多いい
        
        処で知られる。
 

         
         BIG WALL In  PAIJIN
         ハルピンから長春への旅の途中に北京での休日によってみました。
                  起伏が可也あって途中でへばりました。
 

THIS IS CHINA(上海にて)

     14th Jan 2004

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THIS IS CHINA

     
   中国人は自らを共産主義者と呼ぶ。だが彼らは世界最高の資本主義者です。彼らには長い長い企業家精神の歴史がある。
   
   1978年に登小平が4っの近代化路線を発表したとき、その歴史に彼は訴えかけていたのだろう。
   
   三回目の千年紀(ミレミアム)が始まり、中国を世界の産業や技術の最先端に押し上げた企業家精神を再び解き放つために。
   
   中国にはその時代の多くに商人階級が存在した。

   そこがロシアのような資本主義の伝統を殆ど持たない国と違うところだ。
   
   日本も江戸時代には士農工商と商人階級は蔑まされてきたがやっと明治維新以降資本主義の流れが勃興してきたが歴史的に浅い部分が多
   
   いい。依然として官農工商の部分はあり官が作った商業規制がその競争力を妨げている。
   
   中国では厳密な意味での共産主義が成立したのは1949年から1979年までの僅か30年だ。
   
   だから資本主義を肌で覚えている中国人は大勢いた。彼ら多くは香港に移り住んでいた。
   
   中国最強の資源は華僑だ。この国は巨大な国外移住者ネットワークを持っている。シンガポールやバンコック、ジャカルタ、ニュヨークで彼らは成功
   
   している。
   
   タイにきてから5世代目であっても彼らは中国人なのである。その多くは中国語を話す。そして中国は彼らをいつでも迎えいれる。
   
   彼らは資本と知識を持ち帰る。知識は資本と同様に重要だ。中国人はそれをすばやく吸収して、自分たちの強みにかえる。
   
   そのうえ、彼らの知識に対する欲求はとどまることを知らない。

     中国では農地で働いている人々の姿をいつも目にする。日の出から日没まで文字通り働きづめだ。日が暮れて投光器に照らされな道路工事をして
   
   いる人がいた。半分近くが女性だ。座り込んで油を売っている人など一度も見かけなかった。
   
   中国には午睡(シエスタ)はない。ぶらぶらしている人や窓から外を眺めている人など見かけなかった。
   
   日本にあるような青いテントを大都市の公園に居るホームレスは中国の少なくとも上海・深浅・福州で見かけなかった。
  
   勿論、各地には貧民窟は有るがそれはホームレスではない。決定的な違いは彼らは働いているのであって日本人は、働いていない。
  
   働くところが無いのであって、中国では働くところは無尽蔵にあるし働くことを厭わない。

          今日日、日本においては中間層と言うべきサラリーマンでさえ仕事が無い。驚くことに金の卵であるべき10代の若者の職業すら危うい。
   
     この国(日本)の将来について楽観的になれないという私の言い方は、海を水滴と呼ぶとに等しいほど控えめな表現だ。
   
     中国人&国のの逞しさは私たち日本人が忘れた何かを思い出させる物が強烈にある。

     中国人は朝から晩まで本当に良く働く、ある工場で黒板を見たら8+6と書いてあった最初は何か分からなかったが次第に分かった。 
   
     自ら計画をたてて残業をしているのだ。工場のオーナーに聞いたら為るほどと思った。“全て出来高制で工場運営をやっている”そうだ。
   
     これは、やる気が出るやり方だ。流石、華僑のやりかただ。日本の某会社はサービス残業と称して労働代金を支払わないそうだが
   
    ここからして真反対のやりかたである。実際日本は馬鹿な経営者が多いのでどんどん中国に水をあけられていくだろう。  

・・・・・黒板の労働時間表・・・・・
(+6は自分で残業を申告)所謂、一人で
二交代分の仕事をする。工場は24時間
稼動しており4交代は2人分で賄う。
固定費の変動化の極みである。


 
・・・・地方からの出稼人の 工場内の宿舎・・・・
暗さは全くない。当時は国慶節の前日でしたが
ギリギリまで仕事(稼ぐ)をしていました。


 
唯、ひたすら働く・・・・・。 誰一人としてお喋り
をしない。インドネシア工場とは豪く違う。


人民元(1)

 
    今日日、人民元は、数少ない固定レートの通貨である。(成田で交換出来ない)米ドルに対してレートが固定されている。米ドルは変動するが、
    
    元のドルに対する価値は変動しない。固定相場制度を支持する論拠は存在しない。これまでうまくいったためしは無いし今後も無いだろう。
    
    ベッグを維持しえた通貨はこれまで一つも無かった。何度も試み、何度も失敗している通貨もある。いまだに大勢の人が思い知っていないのだ。
   
    中国の通貨に交換性が無いのは、共産主義時代の名残である。自由相場制になる日は近づいている。 
 
      今現在、世界通貨足りうるものといえば米ドル、ユーロ、円の3つだけでだ。もしこれらに取って代わる通貨があるとすれば、それは人民元だ。
   
    というのは、中国は膨大な人口を抱えている巨大な経済圏であり、絶えず大きくなり続けているからだ。
 
    中国は2003年に米国を抜き、今や世界最大の輸入国になった。誰もが中国に売り込みたいと考えている。中国の輸出高は輸入額より大きく
    
    中国の外貨準備高は莫大にになった。日本についで世界2位である。第一位の日本は大変な問題を抱えている。巨額な財政赤字と人口の
    
    高齢化だ。今日本はGNPの25%を政府のために費やしている。1991年の20%から大きく上昇している。
 
    世界中がお金を借りている日本の政府が国民から巨額の借金をしているのだ。中国はこうした問題をもたない。巨額の財政赤字も対外債務 
    
    ももたない。そううえ世界第二位の外貨準備高を保有している。
 
    中国の中央銀行には、自国通貨を自由化し、国際市場に元の価値を決めさせなければならないと思っているものもいるようだ。これまで中国は
    
    自由化すれば国民が資産を海外にうつそうとして元を売り、それに外国の投資化家が追随して元が暴落するのではないかと恐れていた。
 
    20年前だったらそうだったかもしれないが、今は違う。もう1984年ではないし1994年でもない。通貨が下落したらしたで慌てることは無い
    
    今の中国を売る者はアホだ。私はその時、中国元を買う。何も心配することは無い。売る者にはやらせておけばよい。しかし売りこまれた元を
    
    輝かしい未来が約束されているだろう。中国に送金をしている華僑は送金をやめてしまうわけでもないし、それどころかし資金流入は増える
   
    だろう。資本はいつも通貨規制でみうごきがとれなくなることのない場所へ流れていくものだからだ。
    
             こうして、中国の資本主義化が凄いスピードで進んできている。これで中国が良い方向に進んでいるのだろうか?
   
    朝、公園に行き、人々と混じって水上をやってくる船を眺める。地方の農場から載せてきた何百もの卵を担いだ男たちが降りてくる。もうこうした
   
    光景は見られないのか?公園や波止場に行ってみた。しかし農産物を載せた船は来なかった。ここはもう上海ではなくなっているのだ。
 
    中国ではないのだ。若い女が携帯電話で話しながら颯爽とスクーターに乗ってきた。彼女の格好はニューヨークやパリやミラノにいてもおかし
   
    くないほど決まっていた。新宿・渋谷あたりではとても見かけないカッコよさ!! 浅草などではとんでもない!!
   
    もう中国ではなくなってしまたのか・・・・・。これから中国はどのように変わっていくのだろうか?誰もわからない。


人民元(2)

      人民元には自由交換性が無い、だから中国にもブラックマーケットは存在する。政府の規制ありのところにはブラックマーケットありだ。
    
      通常どこに行ってもそうだ。小麦、金、通貨、酒、マリファナ、合板・丸太・・・・・。合板は昔はインドネシアで合板輸出組合と称して規制
    
      があった。合板の規制は政府も関与して利権の巣になっていた。APKINDOの規制は隠れ蓑で利権の賄賂性が高い酷い仕組みだった。
    
           どれだけアノ規制がインドネシアの将来のインフラ整備に遅れおもたらしたか!この場合は規制の裏に賄賂ありだった。
    
      なんでもよいが、規制は誰かがその規制をかいくぐって金を儲ける方法を見つけ出すものだ。
    
      その国で何が起こっているのか?それはどのくらい悪いのか?その国の「体温を測る」ために地元のブラックマーケットに行く。するとその 
    
      国のそれらのことがよく分かる。中国では外貨にあまりプレミアムをのせていなかった。何人かに交渉したがうまくいかなかった。
    
      中国のブラックマーケットでは外貨にプレミアムがつかないことが分かった。プレミアムが少ないということは元が健全で、お金を海外に
    
      持ち出すのがさほど難しくないからだ。もし持ち出し禁止になったらプレミアムは膨大になりブラックマーケットは繁盛する。
 
      2004 1月13日
      
      御屠蘇気分が未だ抜けきらない13日に空路上海に飛んだ。上海は−3℃で夕方になって更に冷え込んできた。翌日に空路関空から
      
      の来客を空港で迎えるために1日早く上海に来た。夜は現地スタッフの福岡君と上海料理に舌鼓を打ったが外気が冷え込んで来たの
      
      恒例のSHIYOUKOU酒をグイグイ飲み快飲し上海料理を快食した。何時も中国にきたら帰りは3−4KG体重が増えて帰るが今回も
      
      その傾向にあるようだ。ホテルに帰ったら即快眠した。目が覚めたら朝だった・・・・・・。
      
      2004 1月14日

      翌日、現地スタッフの福岡君と上海の朝を早朝散歩をした。今回とまったホテルは国営ホテルで上海の北の外れであるが300元(1泊)
      
      で安く郊外でもあり一般庶民の生活がよく見えた。 朝の通勤通学の自転車の波波、満員バスの往来、上海ドリーマーの外車(日本製)
     
      因みにホンダの高級車(名前を忘れたが・・)は納車まで6ヶ月先になるほどで飛ぶように売れているそうだ。
     
      ホテルの近所の公園にも行った。(ホームレスの項はリポート済み)但し庶民の家は高級ホテルの反対側にあったが高度成長には光と
    
      影が付き物だが上海ドリームは一部の成功した資本家だけなのか分かりませんが、人々に暗さが無いのは救いだった。
    
      交差点では人民服を着た男性が4人も交通巡査よろしく手信号で交通整理をしていた。聞くと国営企業をリストラされた人たちと聞いた。
    
      一交差点に4人だから上海に交差点が幾つあって何人が交通整理をしているのか?と計算したが、信号があるから交通整理する必要
    
      がないのではという素朴な疑問が残り計算するのを止めた。 交通整理をしているのか邪魔をしているのかよく分からないが指先まで
    
      神経を使った踊るように手信号をしている男に会った。ズーット手を追って見ていると最後に手を下に向けてピョンと指先を挙げて私を
 
      指差した・・・・・。暇なんだな!!彼は・・・。なんだか・・・・。
 
      商売柄、マンションの建売には興味があり宣伝用の縦看板を見た!!270m2(1戸)81坪のマンションが開発されていたが誰が住む  
 
      のだろうか?邦貨で40,000千円と聞いてまた驚いた。 途中CIS(上海インターナショナルスクール)の前を通った。裕福な子弟が通う
 
     私塾で英語・仏語等教育に熱心な学校と聞いた。

上海の交差点にて
この交差点に4人居て交通整理・・・・。

現地のコンサルタント会社の
 お世話になっている田中里理さんです。


SIS(上海インターナショナルスクール)
英語から仏語・露語とバイリンガル養成所


 

                              
上海建材市場
 

上海建材市場にて

株式会社日進 福岡聡氏

上海建材市場にて
標示はチークだけどチークではなかった。

      
      関空からの来客を上海浦保空港で出迎えてローカル空港に移動中に時間があるので上海建材市場を見学に行くことにした。
      
      商売柄、無垢の床材等に興味があった。上海建材市場は1日かけても充分に廻ることの出来ない広さがあり、数件を見学
      
      するに止めた。チークと名札が付いていたが長年チークを扱っているが直ぐに偽物と分かった。カリンもあった色が赤いだけで
      
      本物でなかった。そんなこんなで参考にはあまりならなかった。しかしながら膨大な広さの建材市場を数件の店だけで判断
     
      することは危険だ。この国の建材市場は稀に見る発展を遂げている産業に一つになっているから、その度合いを測るのに
    
      時間があまりにも少なかった。次回に1日を空けて再度来る度に訪れてみたい。変貌する中国を底辺から見てみたい。
    
      日本で販売されているカラーフロアもあった。(B品)どういうルートで上海建材市場に流れているのだろう?
    
      私はむしろ上海の港の保税倉庫に行って見たいと思った。木材資源の少ない中国の輸入ルート解明に興味がある。
    
      その興味は深浅での工場見学でなぞが解けた。後日記します。 
 

                                 福州長楽にて    

山海の珍味


 
山海の珍味

山海の珍味

      夕方、上海から福州長楽に空路移動した。5時半の便で所要約1時間半で空港着。 K社が空港まで迎えに来て頂き市内に
      
      移動した。長楽は新宿の中国人闇組織蛇頭の生まれ故郷で全体的に住宅もコンクリート造りの高級な住居が多く見えた。
      
             一見、中国の住居を見慣れているので違和感があった。海外からの送金が多いいのだろう。伝統的に18歳以上になると
     
      親から海外に出て稼ぐように言われて、国に残っていると厳しく「一杯稼いでこい」と叱咤される土地柄と聞いた。
     
      そんなこんなで空港から1時間で福州市内に入った。その晩、ビルの脇を数ブロック走ってレストランに行った。店は40種類
     
      茸が出せる言う。見たことも無い茸もあった。茸は見えるところに飾ってあり組み合わせで食べるのだろう。
     
      メニューは他にもあり食材として魚を入れた水槽、蛇を入れた籠、亀や蛙の入って小さな生簀、アヒルや鶏を入れた籠。
     
      蛇を注文した。下働きの若者が籠から蛇を取り出して、体をくねらしている蛇の頭を素早く大きな鋏で切り落とした。
     
      蛇の体に沿って刃を走らせて身を開いて内臓と取り出す。これを一瞬で調理場ではやった。皮は別の籠に入れた。数日後に
     
      街でベルトになって売られているだろう。蛇料理を沢山食べてベルトが合わなくなって新たに蛇皮のベルトを買うことになる。
     
      会食中に先ほどの料理人が焼酎につけられた蛇の肝を持ってきた。「これを飲むと目にいいですよ・・・・・。」本心は蛇には
     
      内臓に寄生虫が沢山いて絶対に食べてはいけないと聞いていたので飲みたくなかった(蛇に胆嚢が有るとはしらなかったが)。
     
      できれば飲みたくなかったが、私は胆嚢を口に入れて一気に流し込んだ。もう儀式は終わりだ・・・・・。もういいだろう!!
     
      ところが、二人目の料理人が「元気がでると言われています!!」と言って持ってきた。蛇の血だった、さっきの調理場で
     
      ベルトにな る蛇の血だ・・・・・・。「いや・・・もう結構  不要不要蛇・・・」「私は充分に元気だから・・・・」これ以上元気になったら

     
      どうする!明日の朝は早いので今夜は早く寝なければならない・・・・。そうして中国福州の長くて熱い熱い夜は始まった・・・。


                                         
  深浅家具工場
 


深浅の小物家具工場
日本の大手商社も数多く来社しているようだ。
 
兎に角一生懸命に丁寧に作っている ・・・・。
クレームは自己責任だ!!
ひたすら一言も喋らず黙々と仕事をする
何故なら出来高性で一分一秒が収入に影響するからだ。
小物家具:中国国内で飛ぶように売れている
感心するくらい安く良いものを造る。

世界中に輸出され、日本では通販で販売
品質は極めて良好で評価が高い
 
見本倉庫(基材はMDF :インドネrシア産)
世界中に情報網がありジャストタイミングで製品化をする。


 


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〒187−0031 東京都小平市小川東町1817−37 

(:0423−45−5071

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匠の艶出し



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